今に生きる






この瞬間を生きるということがどういうことか
いつも問いかけてきました。
自由、平和、美
そうしたものが遠くの未来にあり、手に入れるためには「何かをする」必要があると思っていました。
本を読む、瞑想をする、なにか特別なことをする必要があると。

最近、毎日の暮らしの中で「美、喜び」などを感じる瞬間が増えてきました。
掃除をしているその時、星を眺めているその時 、
何もしていないけど心臓の音を聞いているとき

それはとても自由で、美しくて、感動的です。
どうもそんな時が「今を生きている」のではないかと思いはじまめした。

今日FB友達の香緒里ちゃんが教えてくれた動画からもお同じことを感じました。
ティク・ナット・ハン、リトリートさんという方のものです。
初めて知ったのですが、深い静けさを持った方です。






『概念に助けを求める代わりに私たちがハマりがちな『あいまいな概念』・・・神、仏陀,アラー、私たちは『現実なる根源にこの身をゆだねたいのです。 「神」には、あなたの吸う息、あなたのは吐く息、あなたの一歩で触れることができます。「今、ここの中で根源に触れ、喜びとは英和に触れる。日々の毎瞬を 深く生きることで、楽しむのです。吸う息で、吐く息で止まるのです。「私は、今、到達した」自分は本当に到達しているのか?それは自分で分かります。こん な風に黙って座っていても、まだあなたは走り回っているのです。「頭の中で」・・・

母の日 Mother'Day

 

 

 

今日は母の日

 私の母はもうこの世界にはいなっけど、娘たちのとって私は母。

娘から手作りのカーネーションが手渡された。いつもありがとうね。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Happy Mother”s Day
Means more than flowers and gifts
It means saying thank you
It means I love you
You are my mother, my friend
Today is your day

真の美しさ

 

 

真の美しさ

 

「美はその目(審美眼)を持つ人の中にある」と言われるように、
 皆さんは故郷の美が反射したものを見るだけでなく、
それを反射した人の真の美しさをも見るのです。

すべての美は故郷の記憶が直接反射したものです。

どんなものでも美を創り出し尊重することは、
人類の最もスピリチュアルな経験の一つです。

美は内なる精神を蘇らせます。

それで故郷を思い出すのです。

それで完全に故郷を忘れないようにしたのです。

~ Steve Rother & The group "Beauty" 2003-06


感動すること、表現すること、光になること




先日、中学生の娘が 突然国語の教科書を私に読んでくれたのです。
森崎和江さんの 「朝焼けの中で」という作品ですが、それはとても美しい文章でした。
「なぜこの文を読んでくれたのか」
それは、
娘が最近感動したあることを「どんなに感動したか」を私に言いたかったようなのです。

「森崎さんが八つか九つくらいの年頃にどんなに感動しようとも、それを言葉でうまく表現できなかったように、今体験したこの素晴らしいことの喜びを言葉でうまく表現するのが難しい」と
娘は言っていっているようなのです。

これを聞いて、二人の感性にうれしさを感じました。
そして、 自身にも同様の体験があることを思い出させてくれもしました。

 八つか九つくらいの年頃にある日「素晴らしい夕焼け」を見て、
その感動をすぐ絵にしたくて家に帰り、夕食さえも後にして絵の具箱を取り出した時のことです。

何度かいても私の感動はそこに表現できなくて、悲しかったのです。
と同時に、その日の夕焼けはより心に残るものになったのです。
  
あれからずいぶん年月は過ぎたけれども、感動は今でも思い出せます。
そうした感動は思い出すことによって時間を超えて蘇るし、
ハートが暖かくなります。

美しいものを見て、感動すること。
ただそれだけで ハートから光が放たれます。
体が光のそのものになっているその瞬間があります。

感動することが年々増えています。
ほんの小さな事にも感動できるようになっています。

光の粒子が体の中で増えているのかもしれません。

ありがとう。